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大阪地方裁判所 昭和29年(ワ)1082号 判決 1957年3月26日

本訴原告兼反訴被告 仲野庄太郎

右代理人弁護士 黒田喜蔵

本訴被告兼反訴原告 紙山八郎

右代理人弁護士 秋山英夫

主文

原告(反訴被告)の請求を棄却する。

訴訟費用は本訴及び反訴に要した分を通じ全部原告(反訴被告)の負担とする。

事実

≪省略≫

理由

当事者間に争のない事実と成立に争のない甲第一号証、同第二乃至第四号証の各一、二、乙第一、第二号証及び同第三号証の一乃至四を綜合すれば、昭和二十八年二月二十四日原告は被告に対して本件の家屋を賃料一ヵ月金千七百七円毎月末日原告方に持参払い、敷金は賃料四ヵ月分金六千八百二十八円の約定で賃貸借期間の定めなく賃貸し、被告はこれを賃借して右家屋に居住していたところ、被告は同年九月末日までにその月分の右家屋の賃料を支払わず、同年十月三十一日大阪法務局において原告を受取人として同年九月分及び十月分の家賃金として金三千五百四十円を無条件で供託し、同年十二月二日、同法務局において原告を受取人として同年十一月分の家賃金として金千七百七円から先の供託の過払金百二十六円を差引いた金千五百八十一円を供託し、右供託物を受取るに付いての条件として受取人において本件家屋の雨漏を完全に修理した上でなくては供託金を受取ることができない旨の条件を附けた。これに対して原告は同月十二日被告に対して書面をもつて右各供託書の引渡及び供託物受取についての条件の撤回方を要求したが、被告は同月二十四日附の書面で原告に対して、被告の数回に亘る本件家屋の修理の要求にかかわらず、原告が家屋の修理をしないから、賃料を供託した旨及び右家屋の修理を願う旨回答し、同月二十六日同月分の賃料を前と同一の供託物受取に付いての条件付で供託した。そこで原告は昭和二十九年一月二十七日発送し翌二十八日被告に到達した書面をもつて被告に対し、被告の供託は供託書の引渡なく且つ供託物受取についての条件がついているから賃料の支払としては無効である被告は昭和二十八年九月分以降の本件家屋の賃料を昭和二十九年二月一日までに原告方に持参支払え、右期限までにその支払がないときは、同日限り右家屋の賃貸借契約を解除する旨の催告及び賃料不払を条件とする賃貸借契約解除の意思表示をしたが、被告は同年一月二十九日原告を受取人として同月分の賃料を前と同一の供託物受取り条件付で供託し、前記同年二月一日までに原告の要求した賃料の持参払に応ぜず、同日発送の書面をもつて原告に対して本件家屋の修理もしないで一方的に賃貸借契約解除をしても解除の効力を生じない旨及び本件家屋の修理には五千円乃至七千円を要する見込みであるが、原告において右修理を同年二月十日までにしないときは被告の方で右修理をして修理費用を家賃金から差引く旨の通知をしたことを認めることができる。そして前記の原告の被告に対する賃貸借契約解除の意思表示がその指定した日限り契約解除の効果を生じたか否かが本訴訟において第一の争点となつているわけである。

被告は右認定の家屋の賃料の供託によつて賃料弁済の効果が生じているので、賃料不払を理由として賃貸借契約を解除する原告の意思表示は、解除の効力を生じないと主張するので、先づその点について判断する。なるほど被告の主張するように供託が弁済の効力の生ずる他の要件を具備しているときは、供託書を供託物の受取人に交付しなくても、供託と同時に弁済の効力を生ずるが、その為めにはそれが弁済の効力を生ずる他の要件を具備していることを必要とする。本件の被告の賃料債務は前認定のように持参払債務であるところ、被告の全立証によるも、被告が賃料を原告方に持参して提供したにかかわらず原告がこれを受取らなかつた等の原告の受領拒絶又は受領遅滞その他被告の供託を弁済の提供として適法にする事情を認めることはできない。被告は原告が賃貸人として家屋の修繕義務を履行しなかつたから、被告の供託が弁済の効力を生ずると主張するもののようであるが、被告の主張の通りであるとすれば、被告は修繕義務と賃料支払義務の同時履行を主張して原告に対する賃料の支払いを拒絶し、ただ被告が賃料支払能力がなくて賃料の支払いをしないのでないこと及び修繕義務の履行があれば原告は何時でも被告から賃料の支払いを受けられること等を示す為めに賃料相当額の供託をしたものであつて、賃料支払いのためにその供託をしたのではない。従つて被告の供託は賃料弁済の効果を生じていない。右効果を生じた旨の被告の抗弁は相当でない。

次に被告は賃貸人の家屋修繕義務と賃借人の賃料支払義務の同時履行を主張するので、先づ原告に本件家屋について修繕義務があつたかどうかについて判断する。証人広浦重市並びに同榎本留一の各証言、第一回の被告本人訊問の結果、検証の結果及び当事者間に争のない原告が昭和二十九年二月二十日頃及び昭和三十年七月頃の二回に亘り本件家屋の屋根を修理した事実を綜合すれば、本件の家屋は被告がこれを賃借した当時から右第二回目の屋根の修理のあるまで屋根の損傷のために相当に雨漏りが甚だしかつたことを認めることができる。右雨漏りの程度は被告が賃借以来現在まで本件家屋に居住している事実に徴しその使用を全く不可能にするものでなかつたこと明らかであるが、前述の各証拠を綜合して被告が賃料相当額の供託を始めた昭和二十八年九、十月頃もこれを住宅として使用する上に著しく支障のある状態にあつたと認めるが相当である。右認定に反する証人能登繁造、同吉岡健三及び原告本人の供述は措信し難い。従つて右家屋の賃貸人である原告は当時民法第六百六条に所謂賃貸物の使用に必要な修繕として右家屋の屋根の修理をする義務を負担していたと云わねばならない。原告は本件家屋の賃貸借契約中には家屋の軽微な修理は被告においてこれをする旨の条項があつて、本件の場合原告に修繕義務がないと主張するが、前記の認定及び証人能登繁造の証言によつて真正に成立したと認める甲第五号証並びに検証の結果を綜合すれば、本件の紛争の起つた当時、本件家屋の雨漏りを一応止めるのに必要な修理は賃料と比較すれば相当巨額の費用を要するものであつたことを認めるに十分であつて賃貸借契約条項に所謂軽微な修理に該当しない。むしろ問題は、本件家屋の賃料のように地代家賃統制令によつて一般物価と比較して低額で賃貸家屋の修繕費用を支出し得ない額に抑えられていて、修繕をしても賃料値上げのできない当時にあつて(その後右統制令の改正によつて大修理の場合は相当額の値上げができるようになつた)家屋の賃貸人が前記民法の法条の修繕義務を負担するかどうかである。しかし本件の場合には証人中野兼枝の証言により真正に成立したと認むる乙第四号証、証人国定輝道の証言により真正に成立したと認むる乙第六号証、証人中野兼枝、同吉岡健三、同広浦重市、同田中エン、同蔦井彦四郎及び原被告本人(共に第一、第二回を通じ)の各供述を綜合すれば、本件の家屋は被告がこれを借受ける約一ヵ月程前に前居住者が退去して空家となつたが、原告の代理人の訴外吉岡健三は被告がこれを借受けようとした際に被告に対して右家屋を訴外田中孟弘が賃借していると称して、その賃借権の譲渡料名義で金二十九万円の贈与を請求し、右訴外田中は原告の親類に当り、本件家屋に関して全然金銭を支出したことなく、且つ右家屋に事実上居住したこともないのに、原告の妻は右の名義で被告から金二十九万円を受領したこと、及び被告が右金員を支出した際に原告の代理人吉岡健三と被告の間に、本件の賃貸借関係終了の際には被告は本件家屋の賃借権を原告の承認する第三者に有償で譲渡することができる。その際被告は原告に対して原告が右賃借権の有償譲渡を承認する代償として賃借権譲渡料の二割を支払わねばならない旨の契約が成立したことを認めることができる。このような契約が賃貸借関係終了の際、特に賃借人の義務不履行により契約解除のあつた際、どのような法律上の効果を持つかは難解な問題であるが、前記賃貸人の修繕義務との関係のみについていえば、右のような契約の下に賃借人が賃料と比較して著しい多額の金員を支出するのを賃貸人が承認した場合には、賃貸人は賃料額が公定賃料額で家屋の修繕費用を支出するに十分でない場合でも、民法第六百六条所定の修繕義務を負担すると解するが相当である。従つて前認定のような賃貸借関係終了の場合についての約束の下に被告が金二十九万円を支出するのを原告が承認した本件の場合、右金員を原告が取得したと否とに係わりなく、原告は右民法の規定による修繕義務を免れることはできない。

原告は被告が本件家屋に修繕の必要あることを原告に通知することを怠つた怠慢によつて原告が修繕の必要あることを知らなかつたので、被告の供託当時原告の修繕義務は発生していないと主張するのでその点について判断する。前顕の乙第一号証及び二回に亘る被告本人尋問の結果によれば被告が昭和二十八年九月分の本件家屋の賃料を支払わなかつた以前に、原告に右家屋の修繕方を要求したかに見える証拠もないでもないが、右証拠だけではその証明は十分でない。従つて同年十一月末までは原告は本件家屋の修繕の必要を知らず、原告の修繕義務は未だ生じていなかつたと解する外はない。しかしながら、前認定のように同年十一月分以降の賃料相当額の供託に際しては被告は前述の供託物受取りの条件を付けているし、同年十二月二十四日附の被告の原告に対する書面中には明らかに本件家屋を修繕して貰い度い旨の要求と賃料の支払を拒絶する理由が記載せられているから、原告が被告に対して契約解除の意思表示をした昭和二十九年一月二十七日当時には原告は本件家屋が修繕を必要とする状態にあること、及び被告が賃料を支払わない理由を知つていた筈であつて、仮りに原告が右修繕の必要を知らなかつたとすれば、それは原告自らの過失に基くものと云わねばならない。従つて、その当時には原告は明らかに修繕義務を負担していたわけである。

よつて被告の賃料支払拒絶が適法であるかどうか、及び原告の賃貸借契約解除が有効かどうかについて判断するに、賃貸人が賃貸物について修繕義務がある場合にその義務を履行しないときは、賃借人は賃貸人が修繕義務の履行の提供をするまでは、同時履行の抗弁権によつて、賃貸物の瑕疵によつて生じた賃借人の損害賠償請求権及び賃料減額請求権の範囲内で賃料の支払を拒絶することができる。本件の場合、前認定のように被告は昭和二十八年九月分、十月分及び十一月分の賃料の支払を拒絶した際には、賃貸家屋の修繕の必要を原告に十分に告知していなかつたし、また、右告知をした後の同年十二月分及び翌年一月分の賃料の支払拒絶についても、兎に角被告がその間現に右家屋に居住している以上、賃料全額の支払を拒絶するのは度を過ぎた権利の行使には違いないが、(この点、乙第一第二号証に徴すれば被告は賃貸物の修繕に要する費用の限度で同時履行の抗弁権があると思い違いをしていたらしい)前記認定の本件家屋の屋根の損傷の程度に徴すれば、これによつて生ずる被告の受け得る損害賠償と賃料減額の額を右家屋の賃料五ヵ月分相当と見積つても、必ずしも過大に失するとは云い難い点もあり、右十二月分と一月分の賃料の支払拒絶は一応違法ではないと認める。右のように被告の昭和二十八年九月、十月及び十一月分の賃料支払の拒絶には必ずしも全面的に適法な支払拒絶とは云い難い点もあるが、賃貸人は賃借人に些少の義務違反があれば直ちに賃貸借契約を解除することができるわけではなく、賃貸人と賃借人間の信頼関係を著しく傷うような賃借人の義務違反があつてはじめて契約解除権を持つに至るのであるから、被告が賃料支払を拒絶した当初前記の手落があつたからと云つて、そのことのみで直ちに原告の契約解除権が生ずるとすることはできない。前認定のように、原告は、本件の賃貸借契約締結に際して、被告が賃借権譲受代金の名義で金二十九万円を支出することに承認を与え右被告の出費の代償として、右契約終了の際に被告が右賃借権を他に有償で譲渡することができ、右譲渡代金の幾分を原告に贈与すれば原告は右賃借権の譲渡に同意する旨を約束した点、契約解除の当時、これに先立つ被告の通告によつて原告は被告が本件家屋の修繕の必要を主張して賃料の支払を拒絶しているのであることを知つていたか又は当然知つていなければならない立場にあつた点、実際上も右家屋には真実修繕の必要があつて被告の賃料支払拒絶が必ずしも不当と云い難い点及び被告が賃料の支払拒絶以来原告の契約解除の意思表示に至るまでの間の賃料相当額を右解除の意思表示前に供託していて、原告は右家屋の修繕さえ施行すれば賃料の全額を受取ることも困難でなかつた点を考慮すれば、被告の賃料支払の拒絶には多少行過ぎの点がないでもないが、原告は、右契約解除の意思表示をした当時、その主張するような契約解除権を持たなかつたと解するが相当である。右のような場合には、原告は家屋に相当の修繕を施した後、被告に対して賃料の支払を求め、なおかつ被告がその支払をしないときはじめて契約の解除権があると云い得るのに前認定のように原告は被告からの家屋修繕の要求には一顧も与えず原告が被告のした賃料相当額の供託の供託金を無条件で受領できない点をとがめて、被告に対して先づ契約解除の意思表示をなし原被告間に争ない事実によればその後右意思表示中に契約解除の発効の日と指定した日の約二十日後の昭和二十九年二月二十日頃に至つて屋根職人に右家屋の屋根の修繕をさせ、更に一年以上を経過した昭和三十年七月頃全面的な家屋の修繕をしているのであるから、原告の右契約解除の意思表示は解除の効力を生じたと解する余地はない。

よつて右契約解除による本件賃貸借関係の終了を前提とする原告の請求は全部失当であるのでこれを棄却し、民事訴訟法第八十九条を適用して主文の通り判決する。被告の反訴請求は本訴において被告の敗訴に備えて、予備的にされたものであるので、本訴において被告が勝訴したからその判断をしない。

(裁判官 長瀬清澄)

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